2019年1月31日木曜日

作陽高校3年間の思い出4

岸 孝宗郎

 3年間を振り返って、僕はこの3年間で自分の生き方が変わり、考え方が大きく変わりました。サッカー面での成長があったのはサッカー以外の面で吸収するものが多く、しっかり繋げることができたからだと思います。ごく当たり前のことだと思うんですけど、サッカーをできる事に感謝する。これを頭に置いてサッカーするのは分かっていてもなかなか難しいことだと思います。
僕も入学するまでは分かっていてもなかなかできませんでした。そもそも気づいてすらいませんでした。しかし、作陽高校に入学し、1人で寮生活をする事になりサッカーができることへのありがたみ、感謝というものを身に染みるほど感じる3年間になりました。中学生の時は親がしてくれていた事を自分がやらなければ生活ができない。その時、両親の偉大さ、大切さ、温かみを感じました。まず、そこで気づいて感じることによりサッカーへの気持ちが更に強くなりました。両親がどんな思いで、僕を遠く離れた作陽高校に送り出してくれたことかなによりも僕の事を1番に応援してくれていました。それを考えるとサッカーとの向き合い方も変わりました。何よりも大切で、1番の感謝は両親だと。すると、技術の面でも気持ちの面でも強くなることが出来ました。
 気持ちが強くなると何に対しても負けたくないという気持ちになりました。そこでの1番近いライバルは同じ作陽高校のチームメイトです。日々、共に汗を流した時間はかけがえのないものになりました。そんなチームメイトこれは僕の一生の宝物です。厳しく指導してくれた先輩も、可愛い後輩達も、みんなのおかげで成長できました。僕はチームメイトに恵まれました。これも感謝しかありません。最高の仲間が居たから上手くなることができました。
  
 それから、監督やコーチへの気持ちも変わりました。自分が上手くなりたい。試合に出たい。活躍したい。そのためには何が必要で、どうしたらいいか、プレーするのは自分だけれど評価するのは監督、コーチである。指揮するのは監督。自分でのアクションが何よりも大事だと思います。それはどんな場合も続けなければチャンスはないと思います。しかし、作陽高校の監督、コーチは、選手へのアドバイス、関わり方がものすごく手厚く恵まれた環境でした。選手の事を否定するのではなく、選手のストロングポイントを活かしたコーチングでありました。そのことで、すごく自信になり良いコンディションを保つことが出来ていたと思います。経験した僕は深く感じています。その結果、試合で結果を残すことが多くなり充実感がありました。これは紛れもなく、監督、コーチのおかげです。
 それから、僕がサッカーをするにあたって、サッカーでもサッカー以外でも関わってくれた人っていうのは常に僕の応援をしてくれていました。それが僕の力の源であり、原動力でした。正直、3年間悔いなく、気持ちよく終われたとは言えないです。やはり、サッカーというスポーツは勝ち負けがあり、結果だけが物を言うものだと僕は思っています。だからこそ、思い描いたような結果にならなかった事がとても悔しいです。
 しかし、それと同じくらい大事な事を学ぶことが出来ました。両親、家族、仲間、監督、コーチ、関わってくれた人みんなへの、感謝の気持ちでいっぱいです。感謝の気持ちを教えてくれた。だからこそ、僕は生き方が変わり、人として成長することができ、1人の選手として人として成長できました。これは僕の人生全てにおいて大きな財産になりました。

 僕はサッカーが大好きです。大好きでなければ上達はないと思いますし、楽しまなければもったいないと思います。僕は大きな夢の実現に向けて作陽高校での3年間を土台にし、必ず叶えたいと思います!
 感謝の気持ちを色んな表現で綴りましたが、それをこれから口にして伝えていきたいと思います。それがなによりも大事なことだと思います。
 『ありがとう』

作陽高校サッカー部副主将 岸 孝宗郎

作陽高校3年間の思い出3

西山 拓実

 僕の高校サッカーはあっという間に終わりました。選手権に憧れ作陽に入学してからたくさんの経験をしてきました。サッカーの楽しさ、難しさ、厳しさを知りました
僕は2年の時に選手権のピッチに立つことができました。ずっと立ちたかった舞台で試合をすることができ、今まで味わったことのない喜びと楽しさを感じました。しかし結果はベスト16敗退でした。自分自身の力不足を感じ、来年またこの舞台でリベンジしたいと思いました。

 3年になり色々なことが変わりました。その一つは自分の立場です。選手権で負けた時にチームを引っ張る存在になりたいと思い副キャプテンに立候補しました。しかし自分には向いていませんでした。口数も少なく自分のことだけをやっていて何の役割も果たせていませんでした。自分じゃない人がやった方がいいんじゃないかと思うこともよくありました。でも、自分には一つだけチームを引っ張る方法がありました。それはサッカーに対する姿勢です。どんな時でも全力を尽くすこと、サッカーに対して本気で取り組むこと。これはチームで誰にも負けない自信がありました。僕はその自分の姿でチームを引っ張ろうと頑張ってきました。その姿勢がどれだけチームに影響を与えられたかはわかりません。それに、振り返ると副キャプテンとしてあのときやってよかったと思うこともありました。でも、この立場を経験して人としての成長を感じることができました

 最後の1年はチームの結果がついてきませんでした。目標としていた3つの目標(全国優勝・県内三冠・プレミアリーグ昇格)を一つも成し遂げれませんでした。自分の代で選手権の舞台に行くこともできませんでした。思い描いていた1年とはかけ離れた1年になり、今までで一番悔しい思いをしました。本当に悔しかったです。僕は2年生から10番をつけさせてもらっていました。チームを勝たすことが自分の役割でしたがそれを果たすこともできませんでした。チームとしても個人としても結果を残せずやりきれなかった感があるまま引退することになりました。

 僕は作陽高校サッカー部で本気になることを学びました。一つの目標に向かって本気で努力すること。それがどれだけ楽しくどれだけ夢中になれるか。もちろん本気になるだけ苦しいことやしんどいことも増えました。それでも同じ目標を持った仲間と本気で日本一を目指してサッカーをするのが楽しくて楽しくてたまりませんでした。そんな環境で3年間サッカーをできたことが幸せでした。いろんなことを共に乗り越えた仲間には本当に感謝したいです。
 高校サッカーは悔しい結果に終わりましたが、ここで感じた悔しい思いはこれからのサッカー人生に繋げていきたと思います。
 作陽高校サッカー部を選んでよかったと思える3年間になりました
3年間ありがとうございました。


2019年1月28日月曜日

作陽高校3年間の思い出2

前川  龍之介

 作陽高校での3年間は凄く成長出来たと思います。それはサッカー部での活動であったり、寮生活でも成長したと感じています。

 サッカー部では、自分自身の目標を達成することは出来ませんでした。
もっと練習すべきだった』『もっと強くなるための努力をするべきだった』それに早く気づくべきだったと今は凄く思っています。
だから、後悔はたくさんあります。たくさんありますが、それ以上に成長出来たことがたくさんあります。成長出来たことは本当に良かったと思っています。
自分自身ここでサッカーを終わりにしようと思っていました。
ですが、まだまだ成長したいと思うようになりました。
この気持ちを持てたのは作陽だったからだと思うし、この3年間で味わった現実からだと思います。
だからこそ、大学でもサッカーをしようと思います作陽で成長出来たことを生かして大学での4年間も成長出来るように頑張っていきたいと思います。

 寮生活では、3年生の時に寮長を務めました。キッカケは、元々寮監の先生と話すことが多く、その時に「寮長をやってみろ」と言われたことです。言われた時は悩んで色んな人に相談をして、あるコーチからは「寮長をした方が自分自身絶対に成長出来ると思うよ」と言われ、やることに決めました。
1年間やりましたが、寮長として自分が先頭に立って発言することや行動で引っ張ることの難しさに気づき、副寮長の3人に迷惑をたくさんかけました。自分1人ではやりきることが難しかったかもしれませんが、3人のおかげで1年間やれたと思っており本当に感謝しています。来年の寮も今年以上に良くなってもらえたらなと思います。
寮生活はたくさん成長出来ることに気づいてもらいたいです。

 作陽高校での3年間は悔しい思いや辛い思いもたくさんしましたが、多くの思い出や楽しいこと嬉しいことがあったので、とても充実しました。
これからは、このような経験をさせてくれた両親やサポートしてくれたすべての方々に感謝の気持ちを忘れず、大学での4年間を大切に過ごし、感謝の気持ちを恩返し出来たらなと思います。

作陽高校で学ぶことができ、本当に良かったと思います。

2019年1月25日金曜日

作陽高校3年間の思い出

 羽田 一平

 作陽高校での3年間は自分にとって財産になることが本当に多くありました。そして、人としても成長できることが出来ました。
1年生では、上下関係の厳しさを知りました。自分が中学生時代では味わえないことを味わうことが出来ました。どうやったら先輩と良好な関係を築けるかなど、これはもし自分が社会に出た時にすごく役立つことだと思います。
 2年生では、第96回全国高等学校サッカー選手権大会に出場することが出来たことです。ありがたいことに、自分は2年生からレギュラーで出させてもらっていました。しかし、ベスト8を決める試合で自分がPKを外してしまい、結果はベスト16で終わってしまいました。『悔しい…』それしか頭にはありませんでした。その時に1人の先輩が自分に声をかけてくれました。その人は自分と同じポジションでずっとライバルとして戦った先輩です。その先輩に「お前が居たからここまでこれた。逆にお前が居なかったらここまでこれなかったよ。ありがとう。この先輩の器の大きさを感じました。この先輩に感謝しないといけないのは自分の方でした。この先輩が居たからこの1年間必死に努力することが出来たと思います。この瞬間でした。先輩方の悔しさを無駄にしてはいけないと思ったのは。自分が主将をしてチームを変えると覚悟しました。
 そして3年生では、「主将」これが1番自分を変えてくれました。ですが、いざ150人をまとめる立場になってなにをすればいいかわかりませんでした。その不安を背負ったまま新人戦が始まった。結果は優勝することができました。でも自分はとてもモヤモヤしていました。その時に酒井監督に言われた言葉があります。それは『お前は主将としてなにもしてない。ただ主将という役割がついてるだけ。』これを言われた時はとても悔しく、腹が立ちました。なぜなら、酒井監督の言う通りだったからです。それから、自分なりにいろいろと考えました。正直やめたい、逃げ出したい、そんなことは何回もありました。でも、その時に頭に浮かんで来るのはあの先輩の『言葉』そしてあの日の『悔しさ』でした。あの日があったから乗り越えられることが出来ました。あとは仲間の力です。仲間が居なかったら腐ってたと思います。改めて仲間の大切さにも気づくことが出来ました。ある日1人の子に「一平は一平らしいキャプテンをやればいいじゃない。無理にうまくやろうとするんじゃなくてその一平のキャラをうまく使ってやればいいと思う!この言葉で自分は前向きに進めることが出来た。本当に感謝の気持ちしかありません。
自分達の目標である「県内3冠」「プレミアリーグ昇格」「日本1」この目標はすべて叶えられなかったけど作陽に来て、人としても1人の人間としてものすごく大事な物を作陽高校で学べたと思います。
作陽高校サッカー部で主将が出来て本当に良かったです。この経験を生かして次のステージでも活かして行きたいと思います
本当にありがとうございました。            以上

2019年1月22日火曜日

作陽高校サッカー部男子に新たな歴史

作陽高校サッカー部男子フットサル
 全日本フットサル選手権中国予選で初優勝!!
 この大会は通常のサッカーの大会では天皇杯に相当する社会人も出場する大会です。中国予選を苦しみながらも勝ち抜くことができました。
 第24回全日本フットサル選手権大会に出場決定(高校生としては初)しました。大会は卒業式の翌日の3月2日からです。
みなさま応援よろしくお願いします。